「綺麗……」
登校していく生徒たちの間を、桜の花びらが舞い散っていく。
並木道の桜たちがざわめき、春の暖かな風が|木立《きだち》あゆのおさげ髪を撫でていった。
眼鏡の奥にある瞳には綺麗な桜が映っている。「桜か……。あの子、元気かな」
桜を見ると思い出す。
ある男の子のこと。
小さい頃、悲しいことや辛いことがあったとき、よく立ち寄ったあの場所で出会った男の子。 ずっとあゆの思い出として心の支えとなっていた。 あゆは小さい頃からおとなしく、人と関わるのが苦手だった。 目立つのが嫌いで、いつも定位置は隅と決まっていた。みんながきらきら眩しくて、あゆ一人だけが違う世界の住人のように思えていた。
そんなあゆのことをいじめる者も多かった。
おとなしく反抗しないあゆは、標的にしやすかったのかもしれない。その影響もあり、さらにあゆは人と関わることが臆病になっていったのだった。
家族とも折り合いが悪かった。
父はごく一般的な普通の人だったが、そこまで愛のある人ではなかった。あゆのことも適当に可愛がってはいたが建前のように感じられた。
母は父の再婚相手で、あゆと血が繋がっていない。
あゆと仲良くするつもりは無いようで、はじめの挨拶のときに笑顔でこう言った。「ドライにいきましょう、あなたと私は他人なんだから。私も好きにするし、あなたも好きにしなさい」
この人は母親になんかなる気はさらさらないんだなと思った。
学校でも家でも居場所がなく、孤独で寂しかった。
誰かを心から求めていた。そんなとき彼に出会った。
私の唯一の居場所、彼の存在が私を救った。
彼は今頃どうしているだろうか……。昔に思いを巡らせ、前をよく見ていなかったあゆは、誰かにおもいっきりぶつかってしまった。
「あ、す、すみません」
「なんだ? おまえ」その声にびくっと小さな体が跳ねる。
恐る恐る顔を上げると、こちらを鋭い目つきで見下ろす、|大川《おおかわ》|大地《だいち》と目が合った。
先生からは要注意人物と扱われ、生徒から恐れられている存在。
彼は校内でも有名な不良少年だった。ど派手な金髪が太陽の光に当たってさらに色を増している。両耳にはピアスがいくつも光輝いていた。
そんな彼が、切れ長の鋭い目であゆを見下ろしてくる。
ど、どうしよう……。
あゆは助けを求めるように、周りを見渡した。
しかし、みんな我関せずという顔で避けていってしまう。あゆの顔が一気に青ざめていく。
「あ、あの、す、すすすっ」
頭の中が真っ白になり、もう何を言っているのかわからない。
呼吸さえもおろそかになっていた。しどろもどろになるあゆに対して、大地が意外な言葉を言い放った。
「おまえさあ、もう少し堂々としろよ。だからなめられんだよ」
「……は?」あゆは状況がつかめず、目をまん丸にして大地を見上げた。
大地は苛立ったように髪をかきあげる。「だからっ、堂々としろって言ってんの。わかったか」
その鋭い眼差しに睨まれ、あゆは首を勢いよく上下に振る。
少し呆れたような表情をした大地は軽く頷き、あゆに背を向け歩き出す。
あゆはただ大地を見送るしかなかった。「な、なんだったの……」
大地は|苛立《いらだ》っていた。後ろを振り返ると、まだあゆが茫然とそこに立ち尽くし大地を見ている。
視線に気づくと、その色白の肌が青白く変わっていった。「はあーっ」と深いため息をつく。
大地のことを怖がるのは他の誰でも同じことだ。そんなことはいちいち気にしてない。
しかし、木立あゆは大地だけでなく、人間全員に対して怯えているように感じた。それが大地を苛立たせる。
その感情がなぜ湧いてくるのか、大地には予想がついていた。
大地とあゆは十年前に一度会っているのだ。
あゆはどうも覚えていないらしいが、大地は覚えている。大地にとって忘れられない思い出だったから――
☆ ☆ ☆ 「だいじょうぶ?」目のクリっとした可愛い女の子が大地の顔を覗き込む。
大地は原っぱに横たわっていた。
先ほど、喧嘩してボコボコにされたところだ。口の中は切れて血の味が広がっていた。「いっ……つ」
起き上がろうとしたが体が悲鳴を上げ、起き上がれなかった。
すると、女の子が大地の体をそっと支え、優しく微笑みかける。彼女の微笑みはまるで、天使のようだった。
暖かく優しい笑顔の中に、何か切なくなるような悲しみも秘めていたが、小さな大地にはそれが何なのかさっぱりわからなかった。
女の子に助けられ、しかもこんな|醜態《しゅうたい》を見られた。
普段の大地ならプライドが許さなかったが、この子だったらいいか……なんて思ってしまった。「――君、誰?」
大地は自然と尋ねていた。
彼女は気恥ずかしそうに自分の名前を告げる。「きだち……あゆ」
夕陽を浴びて輝くあゆを、大地は眩しそうに見つめ微笑んだ。
☆ ☆ ☆ その後、大地とあゆは、あの原っぱで頻繁に会うようになった。しかし、しばらくして大地の両親が離婚し、母方に引き取られた大地は引っ越してしまった。
突然のことであゆに言うこともできず、連絡先も知らなかった大地はそのまま彼女の前から姿を消すことになってしまった。彼女とはそれきりだ。
そして、中学の時、大地はこの町に戻ってきた。
学校であゆと再開するが、二人とも初めは気付かなかった。
しばらくして、大地はあゆの名前から気付くことができたが、あゆは一向に気付く気配はなかった。お互い姿も変わっているし、あゆは大地の名前も知らないのだから無理もない。
それに、小さな頃に少しの間会っていただけだ。忘れていて当然だろう。それよりも、大地がショックだったのは、彼女のあの笑顔だった。
あの天使のような笑顔はどこへいったのか、いつも作り笑顔のあゆ。
いじめられているからそのせいもあるだろうが、それだけじゃない気がする。いじめは大地が口出しすると余計に|拗《こじ》れそうだから、遠くから見守るしかなかった。
大地はあゆに昔のように笑ってほしかった。
あの笑顔をもう一度見たい、ただそれだけだった。しかし実際はどうしていいかわからず、苛立つ日々。
どうすることもできず、遠くから見守ることしかできない。
さっきはとうとう我慢できず、つい口出ししてしまった。
こういうことはなるべく控えなければ。大地がまた、ため息をつきかけたとき、
「だーいちっ」
大地は後ろから勢いよく抱きしめられ「うっ」と呻いた。
「おはよう、大地」
大地にぴたっと寄り添いながら、|藤崎《ふじさき》|美咲《みさき》が微笑みかける。
「……あのなあ、毎朝そうやっていきなりタックルするの、やめろって言ってんだろ」
「大地、今日もかっこいいよ、大好き」美咲は強引に大地の腕に手を添え、引き寄せる。
毎朝のことなので、大地はそのまま歩いていく。どうせ離してもすぐにくっついてくる。周りにいる男子たちが美咲を見ていく。
それもそうだろう、なにしろ美咲はモデル並みの顔とスタイルをしていた。 美咲は高校になってから出会った。彼女が男に絡まれているところを助けて以来、なぜか大地のことを気に入り付きまとってくる。
大地はいつも適当にあしらっているが、はっきりいって面倒くさい。「ねえ、さっき誰と話してたの?」
美咲は少しムッとしながら大地の顔を見る。
「べつに」
大地は適当に誤魔化し、視線を空に向けた。
「綺麗……」 登校していく生徒たちの間を、桜の花びらが舞い散っていく。 並木道の桜たちがざわめき、春の暖かな風が|木立《きだち》あゆのおさげ髪を撫でていった。 眼鏡の奥にある瞳には綺麗な桜が映っている。「桜か……。あの子、元気かな」 桜を見ると思い出す。 ある男の子のこと。 小さい頃、悲しいことや辛いことがあったとき、よく立ち寄ったあの場所で出会った男の子。 ずっとあゆの思い出として心の支えとなっていた。 あゆは小さい頃からおとなしく、人と関わるのが苦手だった。 目立つのが嫌いで、いつも定位置は隅と決まっていた。 みんながきらきら眩しくて、あゆ一人だけが違う世界の住人のように思えていた。 そんなあゆのことをいじめる者も多かった。 おとなしく反抗しないあゆは、標的にしやすかったのかもしれない。 その影響もあり、さらにあゆは人と関わることが臆病になっていったのだった。 家族とも折り合いが悪かった。 父はごく一般的な普通の人だったが、そこまで愛のある人ではなかった。あゆのことも適当に可愛がってはいたが建前のように感じられた。 母は父の再婚相手で、あゆと血が繋がっていない。 あゆと仲良くするつもりは無いようで、はじめの挨拶のときに笑顔でこう言った。「ドライにいきましょう、あなたと私は他人なんだから。私も好きにするし、あなたも好きにしなさい」 この人は母親になんかなる気はさらさらないんだなと思った。 学校でも家でも居場所がなく、孤独で寂しかった。 誰かを心から求めていた。 そんなとき彼に出会った。 私の唯一の居場所、彼の存在が私を救った。 彼は今頃どうしているだろうか……。 昔に思いを巡らせ、前をよく見ていなかったあゆは、誰かにおもいっきりぶつかってしまった。「あ、す、すみません」 「なんだ? おまえ」 その声にびくっと小さな体が跳ねる。 恐る恐る顔を上げると、こちらを鋭い目つきで見下ろす、|大川《おおかわ》|大地《だいち》と目が合った。 先生からは要注意人物と扱われ、生徒から恐れられている存在。 彼は校内でも有名な不良少年だった。 ど派手な金髪が太陽の光に当たってさらに色を増している。両耳にはピアスがいくつも光輝いていた。 そんな彼が、切れ長の鋭い目であゆを見下ろしてくる。 ど、どう
月明かりしかない静かな夜の公園。 剣が激しく重なり合う音だけが鳴り響いていた。 暗闇の中、二つの影がせわしなく動いていく。 影が交わる瞬間、剣がぶつかり合う音が大きく鳴った。 一人は屈強そうな肉体をもった男だが、まだ大人とはいえない幼さが残る青年のような顔立ちをしている。 相手をまっすぐ見据えるその|眼《まなざし》は、血のように真っ赤に染まり、浅い呼吸を繰り返している。 その男に真っ向から向かい合うのは、小柄な少女だった。 長い黒髪から覗く大きな瞳に小さく色白の顔。 華奢な肩を上下に揺らしながら浅い呼吸を繰り返している。 その体には無数の傷があり、傷からは血が滴り落ちていた。 圧倒的に男の方が有利なのは目に見えている。 男が少女に問いかける。「おまえ……なぜ倒れないっ」 男はわからなかった。 なぜあそこまでボロボロになりながら、立っていられるのか。 ――命を張れるのか。 あの小さな体のどこにそんな力が宿っているというのか。 少女は口の中に溜まった血を吐き出すと、不敵に笑った。「そんなこともわからねえのか、てめえ」 その可愛らしい容姿からは想像できない言葉遣いだ。 男も以外だと言わんばかりに眉を持ち上げる。 少女は男をまっすぐ見る。 その瞳はとても強い意志と光を放っていた。「腐りかけたその魂を叩きなおすためだっ!」 少女は手に持っていた白く輝く剣を男の心臓へ向けてかざした。 男は数秒少女を見つめたあと、可笑しそうに笑う。「おまえ、馬鹿か! こんなことしても無駄だ、俺は変わらない! どうしたって変わらない、どうしようもないことがあるんだ。 努力ではどうしようもないことが、この世にはあるんだ! 現状も、自分も、何も……変わらないんだ!」 男は、苦しそうに叫んだ。 そして、何かを消し去るように首を振った。 男は少女を暗く淀んだ瞳で見つめる。「……おまえは無駄なことをしてるんだぜ、無駄なことに命をかけてる。 それでおまえに何の得がある? おまえが死んだら、ただの無駄死にだろうが!」 男は右手にある黒い剣を強く握りしめる。「うおおおっ!」 男が剣を振りかざし少女に突っ込んでいく。「無駄じゃねえ。なぜなら、私は決して、おまえになんか負けないからなあっ!」 男と少女の剣が再び交